ひきこもりになるとまず外にでる事が前提ですべてが始めることが多いが、それって今の時代ではそれでいいのかすごく疑問を持つ。そういう状況にある人は生まれつきではなく何かの原因でなったのか、もっと単純で単に「部屋で一人でいる」というのが自分にあっているかだと思う。それを「社会不適合者」という位置づけで「更生」という名のもとに、時に暴力的だったり強制的に外に出したりしているが、それだけしかない、「まずはそこから」という今の考えは時代に合わないのではないかと。
ヤフーが週休3日を発表したり、在宅勤務を実現しようと大企業が取り組んだりと、言い方が悪いのかもしれないが「ひきこもり」を推奨するような流れがあるし、ネットインフラの成熟化でほとんどのことが自宅で出来るいま、社会に貢献するのに「ひきこもり」だと何もできないと考え、それが前提での更生プログラムしかないのはダメなんじゃないかと思う。
人間だれでも苦手なことはある、今まではその苦手を克服し他人と同じ性格、性質であればだれしも社会が受け入れそれなりの生活がある時代があったが、それはもう難しいと考えたほうがいいのではないか。ネットインフラが社会構造を変え、苦手を捨てて貪欲に得意分野にのめり込んだ奴にもチャンスがあるのが現代の社会構造といえるのではないか。ひきこもりで部屋にいる人の大半はネットで社会につながり同じ仲間同士で絆を深めている事が多い。であるなら、「ひきこもり」の状態で社会貢献できる「場」を作り、対価を得る形を実現させることの仕組みづくりを社会的影響力のある公的機関や更生を考える団体が率先して行うべきだと私は思う。
今の「まずは部屋から出て」を前提とした更生プログラムは、私は「支援」という言葉に酔いしれたおせっかいが自己満足のために「ひきこもり」を利用しているようにも見える時がある。本当に助けたいのであれば、まずはその状況で社会に貢献できる業務や仕事を作り、「ひきこもり」の一般的価値観を改めさせることが先決ではないのか。なぜなら、今は「個の時代」であり前段で書いたとおり企業も在宅勤務ができる仕組みを模索しているのだから。
こういうことは、軌道に乗るまでは営利企業では難しいからこそ、利益を追求することが主眼ではない公的な組織が行う役目だと思うのだけど、そういう組織には固定観念が強くなかなか新しい取り組みができていない一番遠い存在。儲けが主眼でないならもっと歩み寄り理解し合える時間があるのだから「理解してもらう」のではなく「理解して入る」べきではないか。
こんな考えは自分だけかと思っていたけどとあるアニメを見て私だけじゃないんだなと思った。そのアニメは、これ。
このアニメに出てくるシーンに代弁してくれているところがある。続きはdアニメでも配信しているので興味ある方は見てみるといい。