残念な本当の話を聞いた。
高校の進路指導面接の時、
先生「将来は何になりたいんだ?」
生徒「(進路希望用紙を出して)医師です」
先生「はぁ?おまえになれるわけねーだろ?現実を見なさい」
生徒「昔、自分が病気して大きな病院に転々を見てもらったけど
「原因不明」で片付けられたらい回しでたどり着いた
「医院」で 経験と勘で治療を始めてくれて治ったから自分もなりたい」
先生「そんな理由で将来を選んではいけない」
生徒「どうしても医師(人を助ける事)を目指したいんです」
先生「あ、お前今付き合っている彼女の進路が医療系だから
同じ学校をいきたいからそんなこと言うんだろ?そんな考えでは駄目だぞ」
生徒「全然関係ないです」
先生「とにかくこれは受理できない、考えなおしなさい。」
生徒「小さな頃から決めていたことなので医師を目指したい」
先生「最初から絶対無理なことを学校として認められない」
ここで生徒はキレて面接退出。 提出期限をすぎても無視し続け
友達・彼女にも心配されることもあり最終的に道を変えた。
その道は、友人が考えた学校に理由付けができる「親の仕事と同じ」
話を聞いた彼は、親の支援もなくその道に進んでいるが、
その道でも決して楽ではない道でキチンと成果が出ている。
今の学校の先生というのは何様なのかと。
先生には将来を決めつけれるだけの自信による裏付けがあったのか。。
生徒のために言ったことでも結論は「理由付け」で決めたことが
正しい進路指導だとするのか。
子どもたちが受験の時同じような経験をしたのを覚えている。
子どもたちの意思より「受かりやすい狙い目の学部」を
公然とデータを持ちだして伝えていたことを。
理系志望に、人気がない狙い目の上位学校の経済学部を薦める とか。。
私達親にも「昨年のデータでは○○大学の○○学部」は
人気がなく受かりやすいから狙い目という色々なデータを
持ちだして説明してきた。
デジタル社会だとはいえ意思もデジタルにしていいのかよと。
そのくせ、ネットは見せないようにとか、
パソコンは家族の見る前で使わせてください。と。
てめえらの都合で決めててることはデジタルでもアナログでもなく
ご都合主義だろと。
成績に見合うところで学部関係なく良い所をどこでも
行ければいいんじゃないわ。
能力の範囲で自分の目指すところへ行ければいいのではないかと
不思議に思った事を思い出した。
だから、日本は、サブカルチャーという大人の選択が出来ないところで
とんでもないセンスとワザが飛び出してくるんだろうと思う。
そしてそれが海外で日本以上に評価されていることもうなずける。
おっさんだから今の学校の本当の中身は知らないが、
MMD杯やVOCALOIDが廃れなく加速することが
教育がいかに時代と乖離しているかも説明がつきそうだ。
そしてそれは結局、既存商業文化の利益構造を壊され 首を絞められている
現実につながっているのではないかなと。
流されちゃダメだあああああああああああああああああ